承認が居場所を創造する。

こんばんは、ビルメン会社員の牧健太郎です。

多くの人は誰かに認めれれたいものです。

認められると感じるとここは自分の居場所だと思うようになります。

認められるとは…自分のことをわかって欲しい、理解して欲しいということです。

自分のことを承認されている感覚とは自分のことを見てくれているという感覚に似ています。

逆に自分のことを承認されていない感覚とは自分のことを見てくれていないと感覚に似ています。

承認とは相手のことを認識(見て)して承諾(受け入れる)することなのです。

鴨頭 嘉人(かもがしらよしひと) さんってご存知でしょうか?

その方は承認されている感覚のパラメーターの器を『承認のバケツ』とバケツで表現しておっしゃっていました。

Aさんに「Aさんがいると安心する」という言葉で承認のバケツに水を注ぎます。

すると承認のバケツの水が50%から80%になりました。

しかしAさんはなにも変わりません。

Bさんに「Bさんがいると安心する」という言葉で承認のバケツに水を注ぎます。

すると承認のバケツの水が50%から120%になりました。

Bさんはとても生き生きして表情や言動、行動がさらに良くなりました。

なぜパラメーターが増えたのにAさんはなにも変わらなかったのか、同じことをしたのになぜパラメーターの上り方が違うのか…。いくら褒めても認めても…なにをしてもなにも変わらないじゃないか。かたやもう一人はちょっと褒めただけで急に良くなったなぁ。なぜ?

その理由は3つ。

①承認のバケツの大きさ(必要量)が違うから。

②承認の量(感度)が違うから。

③承認のバケツが溢れるようになって(100%を超えてから)変化し始めるから。

特に③が重要です。承認されているという度合いが満タンになって溢れるようになってから始めてわかるような変化を始めるのです。ゼロから99%になってもほとんど良い変化は見られないのです。それゆえにそれが良い結果として認識できるようになるまでに承認を続けることが難しいのです。相手のためにしてやっているという考えで承認という手段を用いているとしたら特にです。100%を超えないとなにも変わらないからです。こんなにやってやってるのにクソォっ!もう知るかっ!!というふうになるわけです。

さらに、Cさんにも同じように「Cさんがいると安心する」という言葉で承認のバケツに水を注ぎます。

すると承認のバケツの水が50%から20%になりました。

Dさんにも同じように「Dさんがいると安心する」という言葉で承認のバケツに水を注ぎます。

すると承認のバケツの水が0%から0%になりました。

なぜ減るのか?なぜ増えないのか?

理由は3つ。

①承認の水が汚れていた(汚れているように感じた)ので捨てたから。

②承認のバケツにフタをしてしまっているから。

③承認のバケツに穴があいているから。

その相手に当てはまっていないのに適当に良い言葉を注ぐと汚い水になってしまうでしょう。自分を都合の良いに使わおうと思ってそんなことを言ってるんだと悪意的に捉えたりすることってありませんか?自分なんてダメなんだ…というふうな自己否定感が強すぎるとなにを言っても拒絶したくなるでしょう。そもそも器に穴(傷)があいていたら永遠に増えないです。

じゃどうしたらいいの?

承認を注ぐ方は承認の水を注ぎ続けるしかありません。

承認を注がれている方がフタを開けようとする…穴をふさごうとするまでは。

一人でダメなら…2人でダメなら…それでもダメならもっとたくさんで…身近にいる人全員で注ぐのです。

承認とは愛だと思います。

愛を持って接するのです。

相手にも自分にも。

承認のバケツ…承認の器を意識することが『居場所』を提供できるのかもしれません。『居場所』を見つけられるのかもしれません。

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